通知された犯罪の記録
幕張市の文教地区で幸せな生活を送っていた「私」の元にある日突然政府からの通知が来る——あなたの信用スコアは一週間以内にゼロになります。犯罪者になるかもしれないと怯えながら過ごす「私」の一週間の記録。
ドイツの哲学者エーレンフリート・ゲディケによれば、人類が対象に注ぐことのできる愛はその生涯で一定量に決まっているらしい。詳しい理屈は忘れてしまったが、計量心理学という心の働きを一定の量で計る学問の手法を採用すれば、その類の断定は可能だそうだ。私は門外漢なのでその研究手法の正しさには口出しのしようがないし、なにより二〇二〇年代の古い学者ではあるが、私は直感的に正しいと思う。人間が何かを大切にしたり、慮ったりすることには限度がある。愛は限りある資源だ。
私は人生に指針を置いて行動するタイプの人間で、人によってたとえばそれは「靴を必ず左から履く」とか、「迷った時は親しい人のアドバイスに従う」とか、そういったものだったりするだろう。私の場合はたまたまそれが「愛は限りある資源である」だった、ということだ。私の人生は一事が万事この法則に従っており、進学や恋愛、就職から子育てといったすべてのライフステージにおいてゲディケが顔を出した。私が高校二年のときにあれほど熱心に打ち込んだ空手を辞めたのも、勉強に打ち込むためだった。空手を愛すれば、勉強への愛は減る。時間は愛の材料だ。
私の人生を要約すると、ざっとこうだ。東京の東部に生まれ、地元の中高を卒業すると、理工系に強い大学に進んで情報処理を学んだ。就職に有利だったためである。大学院で修士まで終えると就職し、暗号エンジニアとして七年間働いた。専門職としてそれなりの収入も得て、結婚すると、家族計画を立てた。妻が三十五歳になるまでに第一子出産、四十歳になる前に第二子出産。私より二歳上の妻の年齢を考えると最後のチャンスだったので、仕事を辞めて数学科の大学院に入り直した。本当は哲学をやりたかったのだが、私の専門家としてのキャリアに高等数学は不可欠だったからである。四年かけて数学の修士号を取得することになるのだが、その在学中に第一子が生まれた。卒業後、子供を保育園に入れてふたたび暗号エンジニアとして復職。大手人材斡旋企業だったため、ローンを組んで幕張市若葉区のマンションを購入した。引っ越してすぐに第二子が生まれ、私たち夫婦のノルマ——国が奨励する最低の世帯当たり子供数——は達成された。私自身、愛の限度を考えると二人が精一杯と感じていたので、この時点である程度は肩の荷が降りた。若葉区はいわゆる文教地区で、公園と学校とタワーマンションから成っている。海までも自転車で五分程度、子供たちにとっては最高の環境だろう。名門進学校もあるため人気は高く、マンションもそれなりの値段はしたが、十五年で返済可能だ。南向きの角部屋で三十五階、窓からは花見川と幕張の浜が見下ろせるウォーターフロントだ。五階ごとにドローンポートが付いているという嬉しいオプションもある。九歳になる上の子泰斗は塾に入っていて、すでに受験準備済みだ。下の子寧々にはまだ受験は早いが、インターナショナルスクールに通わせようと思っている。
人によってはつまらない人生だと思うかもしれない。でも、そのおかげで私の幕張市における信用スコアは九九を超えている。経済特区にしか使えない指標だから軽視している人も多いが、もしどこか別の経済特区に移った場合に役立つし、なにより十年、二十年先に信用スコアがいまよりも意味のある指標になっていることも考えられる。私の友人にも、信用スコアを提出しているというと胡乱な顔をする人もいるが、運転免許証のようなものだと考えればそんなに危ぶむようなものではない。交通違反があったら減点で優良免許を失い、重大な違反で免許取り消し。人類が百年以上受け入れてきたのと同じ、良き市民社会としての資格制度のようなものだ。その制度を監視社会と批判することも可能だが、私はそうした態度を取らない。愛には限りがあるからだ。私は社会を変えることに私の愛を使わない。私は私の愛する者のために私の資源を使う。
自己中心的だと非難する人もいるだろう。だが、私は自分の人生に概ね満足していた——少なくとも、二〇五一年四月までは。
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事の起こりは一通の署名通知だ。所有しているすべての端末に真っ赤な白文字がデカデカと表示される画面を見たことはあるだろうか。十年前、二〇四〇年の南海大震災で給付金を受け取った人は覚えているかもしれない。私は暗号エンジニアとしての職務上よく知っているのだが、あれは特権的な情報通知手段である。たとえば、逮捕状が出たときに届く。裁判所からの呼び出しにも利用されており、離婚調停を無視し続けた人には届くはずだ。親族の死亡も同様で、この二十年ほどで身寄りのない死亡者はほとんど必ず近縁者が見つかっている。一度調べたことがあるのだが、真の意味で身寄りのない死亡者は五十年前の千分の一になったそうだ。これはつまり、無縁仏のほとんどが単に誰も何もいわなかったからそうなったということを意味する。死んだときぐらい、多少の縁があればなんとかするものだ。一般的には「政府通知」と呼ばれているこの署名通知は、所有しているあらゆる端末に一斉通知が行われるというその暴力的な方法によって、実行権限が厳しく制限されている。一人当たり平均四・五個の個人専用端末に囲まれて暮らす現代人にとって、全端末一斉通知を受け取るというのは、耳元で大声で叫ばれるに等しい。署名通知は私のような暗号エンジニアの中でももっとも優れた部類の人々が作成したブロックチェーン技術により実現された、電磁秘密通信記録保全法の完全な実装の一つだ。言うなれば、日本一融通の効かない警官が情報を守っているようなものである。そして、それを実行する鍵は日本政府のうちでも裁判所のような機関しか持っていないので、脱税をした者でさえ署名通知を受け取ることはない。したがって、一般に知られる「政府通知」とは、「司法機関からの署名通知」である。
それで、だ。私の端末のすべてに署名通知が届いた。
最初に見たのは右腕のバンドだ。私がいつも身につけるのはバンドだったから、というのが単純な理由だ。そこに書かれた文字を見て、私は何か間違いがあったのかと、居間にあるホームディスプレイで確認してみた。そこにはやはり「警告! 宇藤悟は一四四時間以内に犯罪を犯します。信用スコアは現在の九九から四八〜〇に低下します。」と書かれていた。ハッキングの可能性を考えたが、三十年前ならいざしらず、複数端末同時にこのOS特有のプッシュ通知デザインはありえない。したがって、結論はこうだ。なるほど、私はどうやらこれから犯罪者になるらしい。
人工知能を利用した実証実験の一つに犯罪予知というものがある。私の住む幕張市は経済特区である一方、社会実験の場でもあるわけで、その都市の住民である以上、期待される最大限の人柱を演じることで信用リスクが上がりやすくなるような仕組みも実装されている。行動履歴や年収、家族構成などから犯罪の発生リスクを勘案し、事前にそれを通知してくれるのだ。ただ、古典的SF作品として有名な『マイノリティ・リポート』と異なり、事前に逮捕されることはない。あくまで日本の法体系に則り、実際に犯罪を犯した場合に限り逮捕される。ただ、私の場合、最大九九の減点ということは、刑事罰であることは確定、悪ければ殺人・強盗・強姦・放火ぐらいのレベルの重罪を犯すようだ。犯罪予告通知の的中率がどれぐらいかはわからないが、仮に八割と見積もったところで、私がこれまで築き上げてきた信用スコアは期待値で三割減になる。
困ったことになった、とシンプルに思った。そして、私の限られた愛の資源はこの難問を乗り切るため——少なくとも、信用スコアが四八で止まるような事態にとどめなければならなかった。
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提示された期限は六日間。通知を受けたのは四月六日木曜日だったから、次の水曜日までに犯罪を犯すことになっていた。以下、曜日ごとに私の行動を記録していこう。
四月七日(金)
日中、いつも通り仕事をした。ただ、シェアオフィスに行くのはやめておいた。私の率いているチームは人材斡旋の自動化を担当しており、センシティブな個人情報を取り扱っていたので、個人情報漏洩やインサイダーに該当するような経済事件に発展しないとも限らない。自宅で仕事をし、午後六時には終業宣言を行うと、夕食を取り寄せた。妻は子供二人とすでに食事を終え、居間で子供たちの勉強を見ていた。私はサラダとビール、そして子供たちが残した豆腐ハンバーグの切れ端を食べて終わりにした。いつも夕食はこんなものだ。酔いが覚めた十時ぐらいになってから海岸沿いの道路を五キロほどジョギングした。検見川浜の突堤を見ると、夜釣りをしている人が一人だけいた。そういえば、そろそろシーバスが釣れる季節だ、カレイもまだいけるだろう。明日、子供達を連れてきてみよう。帰り道、私は自動運転車の進路妨害をしないよう注意しながら走って帰った。帰宅後、妻と話しながら晩酌をし、明日の釣りの予定について話した。
四月八日(土)
最高気温二十五度の予報だったので、堤防から投げ釣りをする予定だったが、早朝からヨットハーバーに並び、サップを二本借りた。電動フィンがついているので、九歳児の泰斗でも問題ない。マリンセンターが厚意でつけてくれるドローンには魚影探知ソナーがついているから、適当に釣り糸を垂らせば釣果は上がるだろう。沖から三百メートルぐらいの地点で釣り糸を垂らし、一時間ぐらいでイシモチが二匹、小ぶりの鯵となんだかよくわからない魚が二尾。画像認識で調べたところ小鯖らしかったが、下処理が大変そうなのでそのままリリースした。天気がよすぎて魚からはこちらが丸見えだったのだろう、思ったよりも釣果はなかった。東京湾の透明度は年々上がっている。昼前に家に帰り、イシモチを塩焼きにした。午後は子供たちと一緒にゲームをしながら、妻の買い物帰りを待つ。ふと、共犯の可能性はないだろうかと考えたが、妻に署名通知が届いたという話も聞いていないので離れていても大丈夫だろう。もっとも、私も署名通知のことを妻に言っていなかったが。妻の帰りを待ち、何かあったか聞くと「靴を買った」だけだったのでまあ問題はないのだろう。そのあとはマンションのすぐ前にある公園で子供たちを遊ばせた。タワーマンションがぐるりと囲む中が緑地が広い公園になっていて、ここら辺の子供はみんなここで遊んでいる。ちょうど歳の近い子供たちもいたので見守っているだけだったのだが、近所のママさんだろうか、中年の女性が「あの子たちどこの子?」と私に訪ねてきた。真意を汲みかねていると、「格好がちょっとね。よその子?」と質問をかぶせてくる。どうやら、みすぼらしい格好をしているので幕張市外の子なのではないか、ということだ。ずいぶん嫌なことを言う人だと思ったが、トラブルに発展しても困るので私は適当に「さあ」とだけ答えた。うちの子供たちと遊んでいるのは三人、確かにやや薄汚れた格好をしていると捉えることもできなくはないが、量販店で買った服ならあんなものだろう、別に普通だ。ブランドものを着せて公園で遊ばせるのがそもそもおかしいのであって、特定の地域に住んでいることに過剰な特権意識を持つべきではないのだ。これ以外特に事件はなかった。
四月九日(日)
朝から泰斗が友達の家に遊びに行くという。昨日、公園で知り合った子の家に遊びに行くそうだ。歩くと三十分ぐらいかかる距離だが、バスを使えば妹の寧々でも一人で行ける距離だ。ちょっと悩んだのが、幕張市外に出るにあたっての保護責任者逸失、いわゆるネグレクト罪だ。幕張市外に出したことで思わぬ罪状が突きつけられるかもしれない。泰斗から「お願いがあるんだけど」と聞いたときにはこれか、と思った。しかし、泰斗と寧々に持たせたバンドには位置情報追跡やヘルススキャナー、ペイメントなどなど、子供を単独外出させるのに必要な機能が全部ついているし、幕張市から千葉市へ行くことは越境に当たらないはずだ。念のため、とデータベースに問い合わせてみた。信用スコアのデータベースはある程度の行動予測をこちらに開示してくれる。信用スコアを問い合わせるという行為自体がいかにも信用ならない人間のやりそうなことなので、噂では問い合わせをする回数に応じてスコアが下がると言われているが、あくまで噂は噂だ。私は仮にネグレクト罪を犯した場合の信用スコアがどれぐらいになるのかをテストしてみたが、下落幅は多くて十五、事前に受け取っていた通知の予測よりもはるかに小さい。となると、私は相当な重罪を犯すことになっているようだが……。とりあえず私は子供たちに外出を許可し、午後三時に迎えに行くことにした。
時間になり、キックスクーターを自転車に積んで迎えにいった。幸い、目的地まではほとんど自転車専用レーンでいける。友人の家は千葉市内にあり、築百年は超えているだろうという民家だった。埋立地ではないので、それこそ百年以上前から建っている家も珍しくない地域だが、少なくとも私の知り合いにはいないタイプの家庭だ。石造りの外構もかなり珍しく、よくあの震災を生き残れたものだと感心する。しばらく待っていると、ホームアシスタントが玄関を開けて出てきた。私の方をじっと向いているので顔スキャンでもしているのかと思いきや、「ようこそパパ」と泰斗の声で言う。私が驚いていると、玄関から続いて泰斗が出てきた。その脇には訳もわからず得意げな顔をしている寧々がいる。
「びっくりした?」
「どうやってやったんだ?」
「声を覚えさせたんだよ。凄いでしょ」
他人の家のホームアシスタント設定なんていつ覚えたんだ、と感心していると、さらに後ろから子供が出てきた。
「はじめまして。根田ルイと申します」
一言目からずいぶん賢い子だ……という感心も束の間、その子が続けた自己紹介に圧倒された。幕張市のインターナショナルスクールに通っている泰斗と同学年で、二二世紀育英財団の奨学生らしい。バイリンガルは当たり前、下手したら私よりプログラミングができる可能性すらある超エリート集団だ。私はついついへりくだって「これからも二人と仲良くしてあげてください」とお願いしてしまったが、驚きはそれだけでは終わらなかった。ルイくんの後ろから三人子供が出てきて、彼らも全員同じ奨学生という。しかもこの築百年の古民家に暮らしているのは子供四人だけ、家事はホームアシスタントと手分けして自動化しているという。凄い天才児たちがいるものだ。何かが欠落している代わりに別の何かに秀でている一般的エリート像とは違い、完全に人間としての成長が早い。今後の連絡に、とメッセージアカウント交換まで申し出されてしまった。
帰路、電動キックスクーターで自転車レーンを進む泰斗のあとを走りながら、この出会いは大切にした方がいいと子供たちに良い含めていた。幼少時の環境が将来を作る。可能性に満ちた友人を作っておくことは、泰斗と寧々の将来に明るい指針となるはずだ。家に帰ってからも、その古民家の子供たちが話題の中心になった。
四月十日(月)
この日は朝から仕事をした。年度始めということもあり、業務量は緩めだ。昼食時、妻が思い出したように「そういえばあの古民家の子たちのことなんだけど」と切り出した。
「あなた、署名通知の話をしてたでしょ。ほら、その子たちって小学生だけで暮らしてるんでしょ? それって違法じゃない?」
「育英財団の奨学金を貰っている子なら、それぐらいの裁量あるんじゃないのか。特例措置とかさ」
「幕張市じゃそんな状態違法でしょ。市を跨いでるっていっても、一応通報義務があるわけだし」
「そんな心配することないと思うけどな」
私はそう答えながら、すでに手元で検索を開始していた。違法な子育てをされている家庭を見かけたら通報する義務があるのは百も承知だ。ただ、もしあの子達の育英会奨学生という自称が嘘だったら、私は通報義務を怠ったことになる。妻の指摘ももっともなことだと思っていたが、検索結果がその不安を打ち消した。根田瑠衣は確かに財団の奨学生で、歳は十歳、泰斗と同学年だ。選考はAI、バイリンガルどころではなく、英日中のトリリンガルだ。国際的な賞も受賞していて、そのときの報道写真では古民家にいた別の子供と一緒に写っている。
「ほら、ニュースになるような有名人なんだから、もし問題あるなら近所の人が通報してるだろ」
私が見せた写真で妻は安心したようだった。
その日の午後は仕事も上の空で、気づけば古民家の子供たちのことを調べまくった。調べて情報が出てくる小学生というのはそう多くない。古民家で暮らしている経緯についても公的な情報があり、要はあの子達が自ら自立困難家庭の環境改善役を買って出たということらしい。なるほど、育児放棄されている状態で小学生がそれなりに暮らすためには実証実験が欠かせない。あの幼い子らが一度しかない子供時代を家族と離れて暮らす決意をしたというわけだ。子も凄いが、親も凄い。私からは想像のつかない心境だ。よほど世の中に貢献したいという思いが強いのだろう。個人の幸福という観点からは見過ごせないリスクを買って出る子、そしてそれを認める親。
とはいえ、別のリスクはあった。果たして、幕張市の信用評価システムはそこまで連携が取れているのだろうか。古民家の子供たちを通報しなかったことが法的に問題のない行為だったとしても、例外的な存在を考慮しないで杓子定規な判定をされることはありえる。データベースに問い合わせると、仮に私が育児放棄家庭を無視した場合の減点は三〇。通知されている半減以下には程遠い。ほぼ古民家の子たちは関係ないといえるだろう。
四月十一日(火)
この日は何もなく、いつも通りだった。火曜日というのは、人生でもっとも何も起こらない曜日だ。
四月十二日(水)
昼ごろ、泰斗が瑠衣と一緒にサップフィッシングに行きたいとねだった。小学校が終わってからでも、魚が活発になる夕まずめには間に合う。私は勤務時間を調整することにした。
サップフィッシング自体は問題なく終了した。釣果としてはまたボウズに近かったが、瑠衣が鯵を連れたのは良かった。料理も勉強中だというので、レシピを教えたようと思ったが、すでにホームアシスタントに問い合わせて南蛮漬けを作る準備をしているという。冷蔵庫やグロッサリーから必要な食材や調味料を出しておいてくれるそうだ。いまはまだ塩や砂糖などの粉末を正しく計量するほどの繊細さを持ち合わせてはいないが、「僕が大人になる前には繊細な仕事をするボットが家庭に普及するぐらい陳腐化していると思います」とのことだった。まったく、恐れ入る。
サップをレンタルした店に返却し、ひとまず私が「子供を危険なスポーツに誘って死なせる」という罪を犯すことはなくなった。念のためと瑠衣を家まで送っていくと、玄関に迎えた同居している別の天才児が少し慌てた顔をしている。
「どうしたの?」
私が尋ねると、ケンというその少年は「洗濯機が暴走してしまって」ときまり悪そうにいった。なんでも、この古民家にある洗濯機は洗剤や柔軟剤、漂白材などの分量を自動で供給するシステムを自作していて、入っている洗濯物の画像と重量から自動的にその量を計算するようになっているらしい。何十年もイノベーションの起きていない家庭用洗濯機を改良しようというのがこの家のこどもらしい。今回はその設定にバグがあったようで、洗濯機が泡だらけになっているようだ。瑠衣はケンと一緒にラップトップを覗き込んでデバッグに勤しんでいたが、どうもクラウドにある洗剤量計測器に問題はないようで、洗濯機側のインターフェースがおかしくなっているらしい。
「標準のAPIだけじゃわからないな……」
瑠衣がボソッと呟いた。この種の新型洗濯機にはメーカーのノウハウが詰まっているので、一部の機構には厳重なロックがかけられている。つまり、メーカーが鍵をかけた内側が壊れているのだが、その中を見ることはできないという状況だ。
「貸してごらん」
私はそういってラップトップを受け取ると、必要なツールをインストールしてロックを解除するための通信迂回路を作った。これで洗濯機に内臓されたプログラムの中を見ることができる。
「どうやってやったんですか?」
「おじさんは暗号の専門家だからね。こういうの得意なんだよ」
天才児たちは目を輝かせてあれこれ聞くのでその一々に回答した。メーカーが行うロックの一般的な強度、普通のラップトップの計算量で暗号解読のための計算資源を確保する方法などなど、いちいち感心されるので私も気分が良かった。洗濯機の改良は時間がかかりそうなので後日行うということになったが、暗号突破という新しい武器を覚えた子供たちは今後よりいっそう成長することだろう。
帰宅後の食卓では私の「洗濯機修理」の話で持ちきりになった。泰斗や寧々はこれまで私の仕事がいったい何なのかまったく理解していなかっただろうが、尊敬する友人が尊敬したということで、父親を尊敬してやってもよいと思ったのだろう。
四月十三日(木)
この日は都内に出社する予定があったが、私が重大な犯罪を犯さないで住むように電車を使うことにした。普段は車で向かうのだが、自動航行の設定ミスで私が交通死亡事故の犯人ということになりかねない。京葉線は空いていたが、痴漢などの可能性もあるかもしれなかったのでグリーン車に乗った。もっとも、犯罪予知システムが痴漢のような衝動的な犯罪を予知できるとは思わないし、もし性犯罪の予知が可能だとしたら、その人には常に警告が飛ぶはずだが、念には念を押しておいた。
都内での打ち合わせは無事終了した。会社の人事部と今後のキャリアなどについての面談をし、新しいチーム編成のための顔合わせがあったが、特に問題になるような出来事はなかった。ケータリングを呼んで社内で昼食会を開き、その後は親睦を深めた自己紹介タイム。これから半年ほど同じプロジェクトで働く仲間たちであるが、すでにチームを組んだことのあるメンバーもおり、少なくともあと半年は私がクビになることはなさそうだった。
午後六時に退社。帰りも同様にグリーン車を利用した。その車中で私は署名通知を受け取った。二〇五一年四月十三日をもって、私の信用スコアはゼロになったようだ。
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以上が私の一週間の記録である。逮捕もされていないし、警察が自宅を訪れることさえなかった。
いったい何の犯罪を犯したのかというと、単純なことだった。どうも、古民家の家で洗濯機にトンネルを作ったことがまずかったらしい。あの古民家ではネットワークでの動作が全監視されていて、子供たちの行動記録を取っているそうだ。私がやったのはメーカーの秘密を暴く行為であるわけで、子供たちがやっているならおとがめなしなのだが、私がやるのはまずいそうだ。再配布、つまりインターネットなどを通じてメーカーのロック解除方法をばら撒かなければ法的には問題ないが、私は子供たちの家でいかがわしいことを行った大人として、最大限のペナルティを喰らってしまったようである。
実験的な制度ではあるので、すぐに問題が出るわけではないようだが、少なくとも私がコツコツと積み上げてきた幕張市での信用は一瞬にして失われた。貴重な愛の資源はいっときの自尊心で消え失せたというわけだ。
それでも、私はあまり後悔はしていない。都市からの信頼を失ったとしても、子供たちが得た新しい友人との出会いがより多くをもたらしてくれるだろう。
——(了)