幕張コンヨオ
太平洋上に浮かぶ巨大人工浮島・幕張市となった幕張新都心。一方幕張北側は旧幕張として千葉にのこされていた。旧幕張でAIにサツマイモの育て方をおしえる父と未来の幕張市で人工生物のなかで目を覚ます子。2人の運命が交わるとき人類はうまれかわる。
第一幕(旧)
あした幕張が千葉にかえってくる。
夏。1年に1度1ヶ月のあいだ幕張は海からかえってくる。
幕張湾から望む夜の海のむこう。いつもは底知れぬ暗闇のなかに孤独な光がじっとたたずんでいる。
幕張の光。
手袋の土と。海の匂いが調和せずにそっと鼻に触れては去っていく。
*
眼鏡をかけた長髪の男がテレビのなかで記者の質問に淡々とこたえる。
おなじ男がテレビの手前にもいる。上下スウェットでソファにねころがってねむそうに展開した≪モニタ≫をつつくそのすがたはテレビのなかの怜悧な印象とは真逆だが。どちらもわたしの息子——青木蹴兎。
妻・藍里とわたしがジェフ千葉ファンという単純な理由でつけられた名前がまるっきり似合わない人間に成長したが。テレビでそのすがたを見るたびほこらしいような。一方で遠さを実感するような気持になる。
実験浮体都市・幕張市のAI部門研究開発責任者。
幕張がかかえる数多くの研究テーマのなかでもとびぬけて注目度の高い分野の責任者であるだけにメディアの露出も多い——本人は研究の邪魔だと不満げだが——そんな人物が自分の息子というのはいまだに実感がわかない。しかしソファにだらしなく寝転ぶすがたを見ると。おお。蹴兎だ。となんだか安心しておこる気にもならない。
「ちょっと畑いってくる」リビングから出ようとドアに手をかけると。
「ほーい」という藍里の声といっしょに「ん」と蹴兎がおきあがる。「じゃ。よろしく」
「ああ」蹴兎のそばからこっちに近寄って来るちいさいそれを見ながら。うなずく。
「よろしくおねがいします」蹴兎が小6のころ。このくらいの身長だったか。ぺこりと頭をさげてからこっちを見る——ような気がする。実際のところ人間のようなはっきりとした視線はない。目は点でも丸でもなく湾曲した面だからこっちが勝手に視線を想像してるだけだ。白い身体。まるい頭部。人間というよりアニメキャラクターのように誇張されておおきいアーモンド形の黒い湾曲面の目。
蹴兎の研究する学習AIを搭載したこの……これに農業をおしえてくれというのが蹴兎の頼みだった。
「なまえは……あるのか?」
「ある」蹴兎が自信満々の表情で言う。「芋をそだてるから。芋子」
「芋子……」
それはどうなんだ。蹴兎。
*
あたりまえといえばあたりまえだが。呑み込みはおどろくほどはやい。
うちで育てているサツマイモの知識。圃場整備や土壌に関する知識。いちど教えたことは二度とわすれない。つるボケの話をすれば肥料の配分について聞いてくるなど質問も要領を得てる。ちいさい身体ににあわない腕力で——まぁロボットなのであたりまえだが——除草もすいすいこなす。夏だけと言わずずっと手伝ってくれると助かるなあとふと思って苦笑いでかき消した。
暇になると芋子に幕張のことをきく。蹴兎のくらす場所が気になるのもあるが。だまっているとじっとこっちを見てくるので気まずいのだ。
「海がちかいのは似ていますね」
芋子が幕張湾の方角を見る。海辺からははなれているので海は当然見えないが。海の匂いなど。芋子のセンサはここからでも海を感じるのかもしれない。
幕張湾は幕張が千葉をはなれることでうまれた。かつて海浜幕張や幕張新都心と呼ばれた地域は相次ぐ地震や津波。それによる液状化現象に見舞われそれらを克服するために海にうかぶことをえらんだ。海上にうかぶ巨大人工浮島。環太平洋各国を中心としてメガフロート都市を太平洋上で集結させ連合都市とするTERRA-FLOAT計画に手をあげる形で20年以上かけて浮島化を実現し。幕張は千葉をはなれた。
ここは「とりのこされたほう」の幕張だ。
メガフロート化に伴い幕張は幕張市として千葉市から独立した。ただしかつての幕張全域がメガフロートになったわけではない。規模。予算。その他さまざまな要因でこちら側——都市開発の進む海浜幕張とは対照的な様相を呈していた北側。総武線沿線付近の旧市街——はメガフロート化から外され千葉にのこった。以来このあたりは旧幕張あるいは単に花見川区や武石町と呼ばれている。
幕張がかえってくるたび奇妙な気持ちになる。それは片割れであり。もとは同じ名前で呼ばれた場所であり。一方日本のどこよりも遠い。異界。それが年に1度どこよりもちかくなる。幕張湾にすっぽりとおさまり歩いて渡れる。
彼岸。
のようだなと思う。
*
今日も芋子といっしょに畑にくる。
夏のいまの時期にやることはだいたい説明したので今度は植えつけや収穫など他の時期にやることも説明する。動きも交えて説明するとちいさい身体で完璧にトレースする。
今後毎年幕張がかえってくる時期にきて習わせるつもりだと蹴兎は言っていたが。こりゃ1年でひととおり覚えるんじゃないか? と思ってると。芋子が手を止めて手元を見ていた。
芋虫。を指にのせてながめている。
海上都市からきた芋子にはめずらしいのかもしれない。魚や海鳥は身近かもしれないが。それ以外は……どうなんだろう?
「幕張はどんな生き物がいるんだ? 魚とか海鳥とか?」
「いますね。ほかにもいろいろ多いですよ」
それは意外。と思ってから気付く。この子の言う「生き物」はわたしと定義がちがう。
「オーガニズモイドか」
こくり。と芋子がうなずく。「ここは炭素生物ばかりですからね」芋虫をつまみながら言う。たしかに。芋虫も。わたしも。炭素生物。
芋子はちがう。らしい。
芋子の白い肉体はシリコンでできており。ケイ素を中心とした肉体をもつ。幕張ではほかにもさまざまな元素を基盤とした人工生物が日々うまれ。いきている。
「しかしそれがなんで。いまさら芋なんだ」
ちっちっち。というように指先をゆらす。「芋は重要ですよ。おじいちゃん」
「おじいちゃんではないが」
「いろいろ基盤元素を研究していると言ってもやはり炭素生物の知見がいちばんたまっているんです。炭素が基準以上ある環境ならやはり炭素を基軸にするのがベストです。となるとやせた土地でも育つ芋は非常に有用です。あとリンや窒素も代替基軸としては有効ですから。その研究の布石という意味合いもあります」
ケイ素。窒素。リン。ほかには硫黄など。炭素や水に代わるさまざまな基盤での生命が幕張では模索されている。と芋子は言う。幕張を含むTERRA-FLOATでは日々あらたな生物が——いや生態系が。と一昨日の晩ごはんで蹴兎は言ってたっけ——ヒトの手によってつくられている。
「持続可能な生態系創出の理論構築。それが幕張でもっとも重要なミッションなんだ」そう蹴兎は言っていた。そしてそれは宇宙進出のための重要なステップだとも。宇宙。とくに——まだ見通しは立っていないが——系外惑星へ進出する際にはヒトや物資の運送コストは重大なボトルネックになる。ならば運送する物資は最小限に抑え。開発のための物資は現地調達すればコストが低減できる。しかし現地に都合よく加工しやすい金属や炭素や水素が豊富にあるとは限らない。そこでさまざまな元素条件に対して一から生態系を構築できるようなフレームワークをつくっておく。人間はそれを遠くからコントロールしておけばいいわけだが惑星間スケールでは通信の遅延も無視できない。そこでヒトを含む地球上の生物での遺伝子の役割——つまり体構造を構成するための設計図の役割——をAIに担わせる。そうすれば人工生物の体構造の成長を電子的に統御しつつ大枠はAIの自律的な動作に任せることで遠方からの人間の指令は最小限に済ませることができる——といった感じで。滔々と語っていた。
幕張には炭素の代わりにケイ素や窒素などを基盤とした身体をもつ人工生物——オーガニズモイドがそれぞれの生態系をつくりつつくらしている。幕張が研究地域としてえらばれた理由もそこにある。あらたな生態系を生むことはすなわち既存の生態系の破壊でもある。そこで太平洋に浮かぶ連結した浮体都市という陸地をあらたにつくり。もともと生態系のないそこで生態系をつくりだせば既存の生態系を壊さずにあらたな生態系を構築できる。
オーガニズモイドの画像はテレビやネットで何度も見た。昆虫のようなもの。もこもこした植物。つるんとした肌を持つ小動物。ロボットじみたもの。微生物。
「いまも幕張市にはオーガニズモイドがくらしてるのか?」
「いまはみんな休眠中です。なにかのまちがいでこっち側にわたってきたら生態系に影響が出るかもしれませんから」なるほど。
テレビでオーガニズモイドを危険視して年1回の幕張の来訪にも反対している活動家を見たことがあったが。そこまで心配はなさそうだ。まぁオーガニズモイドの昆虫にはわたしから見てもかなり気持ち悪いものもいたので気持ちはわからなくもないが。
蹴兎は畑につれてくると除草や収穫はそっちのけで虫ばかりさがしてる子だった。幕張は蹴兎にとってパラダイス。なのかもしれない。
*
幕張が海へかえっていく。
太平洋へ。
芋子にはサツマイモの育て方をひととおり教えた。幕張の農場で試すらしい。最初はうまくいかないこともあるかもしれないが。来年また教えればいい。つぎはいっしょに育ててる落花生を教えてもいいかもしれない。
さいしょは戸惑ったが。まぁ。
いきがいがひとつふえたかもしれない。
来年がたのしみだ。
第二幕(新)
一年かけてゆっくり目を覚ました。
ようなものだと思う……おそらく。
いまようやく自己の存在に気付きひとまずこうして書いているわけだが……いまだに脳がぼんやりする。顔面殴られた瞬間がずっとつづいてるような。感じ。
脳。
というものがあるのかすらわからない。というのは。いまこうして書いているのはテキストファイルに書いている。脳内で。
脳内に空間がある。としか言いようが無いがパソコンのデスクトップのようなGUI化された空間が視界とはべつの空間にあり。意識するだけで操作できる。こうして書くことも。
身体を見ても。腕が4本。足が4本あり。肌も象のようであきらかに人間のそれではない——炭素基盤ではあるようだが——つまりおれは。オーガニズモイドなのだろう。
周囲を見まわす。金属製の床は土や泥にまみれているが錆びている様子はない。そこかしこに這う紫色の植物のようなものも野放図に部屋を浸食しているように見えて床や壁を害してはいない。これらもオーガニズモイドだ。とわかる。
オーガニズモイド。
だんだんと思い出してきた。
青木蹴兎。
という人間だった。という記憶。しかしそれといまのこの状況がどうつながるのか……まったくわからない。
記憶はあいまいに。ぽつりぽつりとしかない。アクセスに失敗するような。靄がかかったような感覚。おそらくまだ適応できていないのだ。この身体。脳に。
おそらくこの身体に人間とおなじ脳はないが似たような機能を果たすなにかがあるのだろう。手足も感覚器官も人間とは異なる。人間と異なる情報のフォーマットにまだ適応し切れていない。ついさきほどこの意識を意識することができたのも適応の途中だからだろう。もうすこし時間を——。
業務の時間だ。
*
≪バビロン≫におけるこの区画——M区画——の管理をする。
それがこの身体の役割。らしい。
これまで365日——という暦がいまも成立しているかはわからないが——休まずそうした業務に従事していたのがこの身体らしい。
≪バビロン≫。この塔状の構築物にはおれのほかにもオーガニズモイドが大量に居て。それぞれの業務に従事している。このM区画では植物状のオーガニズモイド——プラントイドの生育。新種オーガニズモイドの開発等が行われている。らしい。この意識の発生に伴いもともとのこの身体にあった情報も一部損害を受けたようだが。いまのところ業務に支障はない。
M区画で行われるプラントイドの農業やオーガニズモイドの開発を管理する業務の傍ら。現状把握のための調査を同時並行で行う。どうも人間のころよりはるかに並行処理の得意な脳になってるらしく慣れてくれば苦も無く実行できる。調べていくうち現状の原因もなんとなくつかめてきた。
この意識の発生は事故だったようだ。すくなくとも偶然だった。
この意識——青木蹴兎に関連付けられた意識の発生源はもともとこの身体にはなかった。オーガニズモイドの管理にまつわるかなり古いライブラリをダウンロードし読み出した際。そのライブラリのもとになった人物——つまり青木蹴兎——の意識のようなものが読み出しに伴い立ちあがった。その意識自体は人間とまったく異なる入出力をもつこの身体とたいした関係を結ばなかったが。何度も読み出すうち可塑性をもつこの身体の脳がしだいに時間をかけてその意識との情報のやり取りに適応し。構造が脳に転写された。ということらしい——もっとも。半分以上は想像で補った仮説にすぎないが。
もとになったライブラリは青木蹴兎の思考を学習したAIらしい。ただ。なぜオーガニズモイドの管理にまつわる知識やノウハウだけでなく青木蹴兎の人格や記憶まで残るような形でライブラリが形成されていたかは不明——。
いや。
ちがう。わざとだ。
管理室を出て農場フロアにむかいながら考え。情報にアクセスする。古い。あるタイプの学習AIの構築にまつわる規約。古い契約。それは当時の人類のAIに対する理解の不足を巧みに利用したものだった。つまり。AIに意識が生まれたら。その人権はどうなるのか。特に特定の人物から学習したAIならその人権の帰属先は? などといった懸案に対する暫定的な回答として学習元の人物の人格と記憶をその学習の正当性の根拠とすること。つまりAIそのものに元の人物の人格に即した「拒否権」と「契約」の記憶を同梱させること。
農場へむかう移動用オーガニズモイドにのりながら考える。この契約には裏がある。ほかならぬ契約の成立に一枚かんでるらしい青木蹴兎の記憶をさぐりながら。そこでまさぐった記憶がまたべつの思考を立ち上げ。それがネットワークへアクセスをうながす。
そもそも。ここはどこなのか?
オーガニズモイドのもともとの開発目的を考えればここは地球とは別の惑星なのか——いや。重力が地球と一致する。ここは地球らしい。位置は——かつての太平洋上。TERRA-FLOAT——そう。青木蹴兎が居た場所。場所は変わってないらしい。
まだオーガニズモイドたちのネットワークへのアクセス方法に慣れないが。どうもここ以外にも地球上の各地に≪バビロン≫のようなオーガニズモイドのコロニーが——。
気付く。
人類は絶滅している。
*
いま。地球上の各地にはオーガニズモイドのコロニーが点在し。人類を含むほとんどすべての動植物は絶滅している。オーガニズモイドたちのネットワークにあがっている地球原生生物の情報を見る限りそれが事実だった。大気の組成や温度。放射性物質の濃度を見る限りなにかがあったのだろうが。わからない。すくなくともいま現在の地球環境で人類は生きることはできないだろう。この変化が人類滅亡のトリガーなのか。それとも滅亡後の変化なのかはわからない。
いずれにせよ。人類はいない。
そしてその事実に触れたことをきっかけに青木蹴兎の一部の記憶も氷解し。青木蹴兎の思考との同化がすすむとともにするすると疑問がほどけていく。
おれ——つまり青木蹴兎は現在の事態を予見していた。いや。予見というほどの確信はまったくなく。「まぁそういうこともあるかもしれない」可能性程度に考えていた。
青木蹴兎含む幕張の研究者たちがオーガニズモイドに託した目的は宇宙進出やそのための極限環境生態系生成のほかに。もうひとつあった。べつに隠していたわけではなく明言しなかっただけだが——つまり。人類絶滅後の生態系の持続。
人類がいなくなってもオーガニズモイドたちの生態系はのこりつづけること。
そしてもしそれが可能なら。学習AIの古い契約の裏も見えてくる。
人類絶滅後のオーガニズモイドたちのなかにもういちど人類の意識を復元すれば。
人類の意識は絶滅を乗り越えることができる。
つまりバックアップだ。
学習AIに同梱する形であらかじめとっておいた人類の意識のバックアップを絶滅を乗り越えるオーガニズモイドという器にリストアする。
わざわざ学習AIの契約に偽装して仕込んでいたのは。彼ら自身リストアまでは本気にしていなかったのかもしれない。ただオーガニズモイドたちの生態系が人類絶滅後ものこってくれればよいと。そこで人類の意識が再度復元されるかはまぁみつかればおもしろい復活祭の卵くらいに考えていたのかもしれない。ちょっとしたいたずら心程度に。実際。当時の技術水準はこの事態を狙って出せるようなものではまるでない。
しかし。イースター・エッグは見つけられた。オーガニズモイド——この身体によって。そしていま不完全にではあるが人類・青木蹴兎の意識はここに復活しつつある。
農場エリアにつく。
もうひとつ並行して走っていた別の思考は農場エリアではたらくオーガニズモイドたちを見たいというもの。監視カメラで見た彼らの様子から微妙な違和感を感じてい——。
樹木のような肌。蜘蛛のような多脚をもつオーガニズモイドたちが鍬をもちあげる腕の角度腰の角度体重ののせかた——。
「……とうさん?」
第三幕(旧)
青木昆陽という人物のことを調べたことがある。
小学校の総合学習の時間か社会の時間か。はっきりとおぼえていないがたしか千葉に関連のある偉人を調べるという授業だった。
おなじ班の牛崎が「青木いるじゃん」と見つけてきたのが青木昆陽だった。「ご先祖じゃね?」と言っていたがまぁそれはないだろう。とは思ったものの。同じ名字に親近感とちょっとしたほこらしさをおぼえたのは事実だった。
昆陽は江戸時代中期の学者で。やせた土地でも育つサツマイモの栽培を関東に広め天明の大飢饉において多くの命を救ったとされる人物で幕張にゆかりがある。昆陽がサツマイモの栽培を試作した場所の1つが花見川区幕張——つまりメガフロートにならなかった方の幕張——で旧幕張には昆陽を芋神さまとして祭った昆陽神社がある。
昆陽のことは小学校以来それ以上くわしく調べはしなかったが。なんとなくお守りのようにその名を思い出すことがたびたびあった。親父から農業を継ぐのに抵抗が無かったのもそのせいかもしれない。思い返せば反抗期というものがない子どもだった。
蹴兎の成長を見守る間も「反抗期」という概念自体わすれていたような気がするし。実際無縁だった。ただのびのびと育ってくれればと思っていた。自分のすきなことをすればいいと——農家を継がせようという気はまったくなかった。
ただ畑につれていったとき。いつか昆陽の話をした気がする。蹴兎はバッタに夢中で「ふーん」と言ったきりだった。
蹴兎が今年も芋子をつれて帰ってきた。3年目だ。
晩酌をしながら去年は落花生も教えたし。今年はどうしようかと考える。
芋子は今年からケイ素芋の栽培をはじめるらしい。もともと芋類はケイ素含有量が多いが芋と直接のつながりはない。サツマイモを参考にした植物オーガニズモイド——プラントイドで他のケイ素動物オーガニズモイドの食物にする予定だとか。さすがにそうなるとアドバイスもなにもできないがどのように育つのか興味はある。
今朝。蹴兎達を迎えにいったとき幕張でケイ素芋の苗を見せてもらった。黄色い葉にサツマイモよりぶりんとした茎。サツマイモとは似ても似つかない印象だったがなんというか“命”は感じられた。ついでに見せてもらった休眠中のオーガニズモイドたちもそうだ。パリワキというオーガニズモイドは紫のグミのようなコブが身体中にあるコウモリのようなすがたでネット上でも「きもちわるいオーガニズモイド」として有名だがすやすやと羽をまるめてねむるパリワキをじっさいに目の当たりにするとふしぎと親しみというか。かわいさのようなものを感じた。
かれらは地球の生物が生きていけないような極限環境でも生きていける——それぞれの基盤元素がある環境なら——日本酒をのみ。晩ごはんのきんぴらごぼうをつまんで。ふと思った。
「芋のようだな」ぽっと口をついて出た。「オーガニズモイドは」
やせた土地で育つサツマイモのように。人が住めない場所でもそだち。生きていける。
テーブルのむかいでタコの刺身を醤油につけていた蹴兎はそれを聞いてしばらくぼんやりこっちを見て。「そうか」とつぶやく。目を見ひらく。
「言われるまで気付かなかった。たしかに……」すこし考えこむ。「着想元はそこなのかもしれない……なんだっけ。コン……」
「コン?」
「ずっとまえに。いなかったっけ。人。とうさんが話してくれた」
「あ。昆陽か」さっき思い出したからすぐ出てきた。
「あーたぶんそれかな? コンヨウ?」
「昆陽。サツマイモを普及したひとだな。関東に」
「それだ。すっきりした。なんかたまに思い出したんだよ。そんなのいたなって。ずっと引っ掛かってたというか……そうか」
タコをぱくりと食べて。「ふ」と蹴兎が笑う。「人類を救ったかもしれないな。とうさんと。その。コンヨウ」
「はぁ?」
「そうか。それが元か。わからないもんだな」とひとりで勝手に納得してて気味がわるいが。まぁいつものことだ。「芋が元か」
「逆から読むとイモってはいってますしね」と芋子が茶々を入れる。「オーガニズモイド」
「ん?」逆から読んでみる。えーと。「ドイモ……ズニガーオ」
「たしかに。はいってるね。ドイモズニガーオ」ぷっと藍里が吹き出す。「ドイモズニガーオw」
蹴兎も吹き出す。「ドイモwwwwwドイモwズニガーオw」
「ズニガーオwwww」笑いがとまらん。「ドイモwwwwドイモズニガーオwwww」
家族全員へんなツボにはいって笑いまくる。過呼吸になるくらい笑う。
蹴兎は笑うと思いのほか口がでかくて口のはしいっぱいにしわがたまる。ひさびさにそのことを思いだした。
涙目になるほど笑いながらその日わが家の流行語が「ドイモズニガーオ」になる。その後もまったく関係ない話に藍里が突然「ドイモw」と放り込むたび全員爆笑して収集がつかなくなる。
まったく。バカだ。
そう思いながらついつぶやく。
「ドイモズニガーオ」
第四幕(新)
「ふっ」と吹き出す。
なにかしら記憶の混線が身体的な反応を惹起したらしい。まぁいい。作業をつづける。
農場ではたらいていたオーガニズモイド「ふっ」なんだこれは。まぁいい。オーガニズモイドたちのうちひとまず運搬できそうな9体を回収した。不具合があった際に使用する治療用の分析器のなかに一体ずつねそべらせ。内部のニューラルネットワーク——人間の脳にあたるらしい部分——の構造解析にかける。
9体ともう1体——おれ自身——の解析結果をならべ見比べる。
3体目。だな。
これがいちばんおれの脳と同様。人間の脳に近い構造を一部もってる。人間の入出力の形式に適用しはじめてる。
それから3体目以外の8体を農場にもどし。かわりにべつの9体をつれてくる。同じ作業をくりかえし73体分のデータをあつめる。それらを教師データにして人間化度を評価するAIを作成する。さらに教師データを増やす。
農場のオーガニズモイドの大半は予想通り古い農作業用のライブラリを参照していた。例の契約——マクハリライセンスと呼ばれていたらしい——付き。つまり人間の人格と記憶付きのライブラリだ。
そしておれは——青木蹴兎は知っている。このライブラリの元になった人物を。
青木昭雄。とうさんだ。
青木蹴兎の父。たしか……イモコ。そう。イモコという名前だった。イモコというオーガニズモイドに学習させた青木昭雄の人格と記憶がこのライブラリには含まれている。
私情。だろう。青木蹴兎は半ば冗談で人類の人格をライブラリに付属させる形でのこしておこうと考えていた。イモコに青木昭雄を学習させ。彼の人格をのこさせた。母親——青木藍里の人格もどこかのライブラリにのこっているはずだ。
いまのところオーガニズモイドに語り掛けてみても反応はない。それは。たとえ彼らのなかに青木昭雄の人格が起動していたとしても。そこにオーガニズモイドのセンサが受け取った信号が適切に翻訳されてとどいたり人格からの反応を適切にオーガニズモイドの身体に反映する経路がないからだ。それぞれの入出力の形式が一致していない。
しかしオーガニズモイドはその全身にそれぞれ異なるAIをもち。さまざまな入力に適応する可塑性をそなえている。可塑性というのはつまり粘土のようにぐにゃりと変形して他の対象のかたちに適応すること。粘土を顔におしつければ粘土は顔のかたちになる。オーガニズモイドはいつかは人格側への入力とそれに対する反応の規則性をひろって適応し。いずれおれと同様人格と適切に情報のやりとりができるようになる。
さらに人間化度の評価ができるようになればそれを促進しはやめることができる。
つまりこうすれば……。
*
「とうさん」
2年かかった。2年かかってようやくオーガニズモイドは不思議そうに周囲を見渡し。複眼でじっとこっちを見つめては気味悪そうに顔をしかめるようになった。その顔に語りかける。
うごきがとまる。
「……蹴兎か?」
うなずく。
「おまえ……ずいぶん」複眼の視線が下にいって。上にもどってくる。「きもちわるくなったなぁ」
「とうさんもだけどね」
しゃこん。と顎部がひらく。おどろきの表現かもしれない。オーガニズモイドが自身の身体を見回す。「蹴兎……あのな」こっちをみて眼窩上部をつりあげる。「これはさすがにひどくないか?」
「おれがやったんじゃない……よ?」途中でそうも言い切れない気がしてきた。このオーガニズモイドのなかでとうさんの人格を復活させたのは。まぁおれだ。
「なんで語尾があいまいなんだ」
「とにかくあの。マッドサイエンティスト的なやつではない。仮面ライダーでもない」
「……なんとなく言わんとすることはわかるが……」ふぁすー。と首のうしろの排気口から排気する。ため息かもしれない。「まぁ。いいよ。おまえが元気そうなら」
元気かっていうと。まぁ元気だ。
*
かあさんも復活させる。
やり方がつかめてきて今度は1年でできた。
かあさんをどのオーガニズモイドのなかで復活させるかはとうさんに選んでもらった。≪バビロン≫以外のコロニーにいるオーガニズモイドの情報まで全部取り寄せるほど悩んだ末。天候情報を取得して各オーガニズモイドにしらせる役割をもつ龍状のオーガニズモイドがそらをとんでるのをみつけて「あれにする」と言った。その後も「おこられるかな」としきりに心配してたけど。
かあさんの人格を復元すると案の定とうさんはおこられた。「バカ」と一言。結局とうさんと同じ蜘蛛型のオーガニズモイドの身体に移行して。さきに見つけて復元しておいた芋子もあわせて一家は復活した。まぁみんな記憶はあいまいだけど。
ほかにもライブラリに付属する人格を復活させていく。
マクハリライセンスは青木蹴兎の死後もしばらくは使われたけど。次第にその必要性がないことがわかってきて以降は人格の付属はされなくなったらしい。だからライブラリのなかでも一定期間のあいだに学習されたものにしか人格はついてない。ひとまず手当たり次第に復元させていく。
≪バビロン≫——のかつて「幕張」と呼ばれた地区に人類がもどってくる。球状のオーガニズモイドとして。カエルのようなオーガニズモイドとして。ラップトップPCのようなオーガニズモイドとして。のたうちまわる臓器のようなオーガニズモイドとして。街ができ。生活がよみがえる。
人類を復活させるか。迷わなかったといえばうそになる。
オーガニズモイドたちのつくる「自然」はしずかだ。かれらの生態系には争いも優劣も搾取もない。オーガニズモイドたちにあたえられた目的はオーガニズモイドの生態系をつくり。維持し。ひろげることだけ。ある個体に必要な資源を与えるためならべつの個体はその資源を切り離して渡し。だから弱肉強食も発生しない。繁殖のために生殖も必要としない。DNAの役割を果たすAIの複製は情報的に容易で。その媒体の生産もいくつかのオーガニズモイドで構成される部分生態系が工場のような役割を果たすことで繁殖のサイクルは生態系内で完結している。全体が目的を共有しそのなかでそれぞれの機能を果たし完全に調和している。
そんなしずかなオーガニズモイドたちの「自然」に。このうつくしい世界のなかにふたたび人類をもどすのか。というのは何度もなやんだ。おそらく人類が一度滅んだのも人類自身の所業によるものだろう。またここに争いや優劣や搾取を発生させるのか。人を殺すならまだしも。すでに一度滅んだならそれはそれでもう。それでいいのではないか。とも思った。
答えはまだ出てない。
ただ。会いたかった。もういちどチャンスがほしい。と思った。
今度の人類はオーガニズモイドとしてうまれる。争いも生殖も必要としない身体をもって。今度こそ。人類はうまくやれるんじゃないか。
楽観的かもしれない。でも。
もう一度見てみたい。と思った。
人々のくらす幕張を。
——(了)