幕張市市民証
土地を持たず、人々の想像力の中にだけ存在する多層都市、「幕張市」。
この架空の都市は、どのように生まれたか。エンジニアが、デザイナーが、芸術家がいかにしてこの街で「暮らす」ようになったのかを知るための五つの物語。
市民ナンバー1 学生 S.T
「幕張市」はずいぶんいい加減な理由で作りだされた。
僕は就職活動を前にした暇な学生で、仕事の幅を増やすため、あるプログラミング言語を学習しようと、比較的評判のよかったオンライン勉強会に参加した。その勉強会は主催者がなんでも仕切りたがる嫌なやつで、二回だけ出席してから行かなくなってしまったのだが、勉強会で紹介された教科書は役に立った。僕は一人で教科書を読破し、習得した技術を使って何か作ってみようと考えた。
僕が作ったのは投票システムだ。深い理由があったわけではない。僕は以前からなんとなく、民主主義の投票システムは非合理だと思っていた。選挙において、僕たちは「人」に投票をする。だが、その「人」はすべての政策において自分と考えが一致しているわけではない。だから僕たちは自分が一番重要だと考えている政策が一致する「人」を選んで自分の票を投じる。
「人」に投票している限り、正確な民意を汲みとることはできない。僕は「議題」ごとに誰を支持するか投票できるシステムを試しに作ってみた。もちろん、実際に使うものではない。勉強した言語を実際に使ってみたくなっただけだった。
アドバイスが欲しくなって、勉強会に参加していたエンジニアたちの連絡用チャンネル(主催者抜き)に投げてみた。すぐに反応があった。いくつかの有益なコメントもあり、すぐに実装した。その中でも僕が驚いたのは、システムの根本に関わる疑問だった。
「そもそも、すべての『議題』において誰を支持するか決めるの、めんどくね? ほとんどの『議題』は『どうでもいい』じゃね?」
たしかに言われた通りだった。たとえば僕は、フリーランスの助成金に関する法案とか、確定申告にまつわる議題とかには明確な意見を持っている。でも年金や地方自治、憲法などについては頭のいい人や当事者たちで勝手に決めてくれて構わないと思っている。何百、何千と存在する「議題」において、僕に興味があるのはわずか数個にすぎない。
僕は暇な時間を使ってシステムを根本から作り直した。興味のある「議題」に絞って、誰を支持するか決めるシステムだ。その他の多くの「どうでもいい」議題は、信頼できる別の有権者に自分の票を委ねる。その有権者も、また別の誰かに票を委ねることもできる。議題の種別ごとに、自動的に「白紙委任」ができるようにして、いちいち投票行動をしなくてすむようにもした。別々の人間に0.5票ずつ委ねることや、0.3票と0.7票というように分けることもできるようにした。それらの票の流れがすべて可視化され、網の目のように票の流れが目視できるようにした。
改めて作り直したシステムをチャンネルに投げると、以前よりもかなり多くの反応があった。へそ曲がりが多くて、素直に褒めてくれる人ばかりではなかったが、感覚的にはかなり好評のように感じた。中には、自分で勝手に改善したバージョンを投げ返してきた人もいた。
そのシステムに関する別のチャンネルを作ることになった段階で、僕はシステムに「名前」をつけることにした。こうして「幕張市」は誕生した。架空の都市の、架空の投票システムとして、「幕張市」は誕生したのだった。
市民ナンバー26 ウェブデザイナー M.N
「幕張市」のチャンネルに誘ってきたのは夫だった。
夫はフリーのエンジニアで、私はフリーでウェブデザインの仕事をしている。普段、私たちは自宅の仕事部屋で、背中合わせの状態で昼間を過ごしている。
「最近、勉強会のチャンネルで面白いシステムを作った人がいたんだ」
昼食休憩の時間に、夫はそう言って「幕張市」を私に紹介してきた。「幕張市」のコンセプトや構造について、そして自分が改善した点について、珍しく熱心に語っていた。
「幕張市」を見た私は、率直な感想として「見た目がダサい」と告げた。「幕張市」はエンジニアたちが集まって作っただけあって、機能性重視の芋っぽいシステムだった。
その感想が意外だったのか、夫はひどく落胆したようだった。私は気を使っていくつかの改善点を挙げた。フォントを変えるだけでそれっぽくなることや、UIまわりのフリー素材が使えるサイトも教えた。夫は「そこまで言うなら、お前が直せよ」と言って、強引に私を「幕張市」に加えたのだった。
すっかり拗ねてしまった夫の機嫌を取り戻すためには、「幕張市」のデザインを改善するしかないことはわかっていたけれど、そのために無償で手伝うのも癪で、しばらくは無視していた。
私が「幕張市」のデザインを手伝ったのは、そのシステムが面白いと思ったからだった。
「幕張市」はチャンネル内のエンジニアたちによって、実際に使われ始めていた。エンジニアたちは様々な「議題」を「幕張市」に投げ、他の参加者たちが投票をしていた。興味のないことやわからないことは別の人に票を委ねる。そうやって新しい種類の「集合知」みたいな形で意見が形成されていた(コードに関する知識がほとんどない私は、多くの議題において夫に「白紙委任」をしていた)。
「議題」の中には「幕張市」のロゴデザインに関するものもあった。ウェブデザイナーとして紹介されていた私には、7.6票が集まっていた。私は初めて「投票」をした。私が推した案は採用されず、別の案が実装されたけれど、いざ実装されるとそっちも悪くないように思えてきた。
私は参加者たちの票がどのように動いているか、一目で見やすくなるようなデザインを短時間で作り、それを「議題」として「幕張市」に投げてみた。満場一致で採用され、「幕張市」のデザインが更新された。
私は「幕張市のデザインをバカにしたら夫が拗ねたので改善案を出した。その案が採用された今、夫は私に謝るべきか」という議題を投げてみた。夫以外の全員が「謝るべき」と投票した。その後すぐ、いつも意地っ張りな夫が民意に従って「拗ねてごめん」と謝ってきて、私は思わず笑ってしまった。
市民ナンバー97 起業家J.B
「幕張市に参加しないか」と言ってきたのは、業務委託をしているウェブデザイナーのM.Nだった。私は「幕張市」そのものには興味がなかったが、「エンジニアたちの集まり」という点に興味を持った。コンサル会社から独立して起業の準備をしている最中で、ちょうど腕のいいエンジニアを探していたところだった。
簡単に自己紹介をして、アカウントを作ってから専用ページの「幕張市市民証」と書かれていたプロフィール欄を埋めてみた。すべての票をとりあえずM.Nに委ね、しばらくは放置していた。
チャンネル内のエンジニアが請け負った飲食店のホームページのレイアウトに関して、放置していた私に6票も集まっているという通知があったとき、初めて「幕張市」のページを詳しく眺めた。「幕張市」では「市民」が投じた様々な議題に関して、別の「市民」が投票を行って決めるというだけのシステムだ。私は以前に飲食店のコンサルをしていたとプロフィールに書いていたので、それを期待して会ったこともない人が私に票を委ねたのだろう。
私は自分の経験からくる考えを「コメント」として書き、その上で投票をした。実際に試作段階のホームページを覗き、SEOに関する細かいテクニックも書いておいた。
その日から、ホームページに関する「議題」の票が、私に集まるようになった。コンセプトなどに関する、特に興味のある議論には熱心に参加した。「幕張市」とは、実在と非実在の間にある都市だ。千葉県千葉市に幕張という街は実在している。しかし、日本人の多くは、「幕張」のことを千葉市にある一つの街ではなく、独立した「幕張市」という都市だと考えている。「幕張市」はオンライン上と、人々の脳内にだけ存在する。そこで行われる自治や、そこで生み出された「何か」は、「都市」や「市民」のあり方を考えるきっかけになるのではないか。
「幕張市」を使うようになってから、私はこのプロジェクトを広く公開するべきだと考えるようになっていった。現状では「幕張市」はエンジニアの集まりにすぎない。そこにウェブデザイナーやディレクター、研究者、何人かのメディアアーティストが加わっているだけだ。
しかし、すでに「幕張市」の「議題」は彼らだけで扱えるものだけではなくなってきていた。自分のようなコンサル上がりに特定の「議題」に関する票が集中するのもそれが理由だろう。
私は「幕張市」のシステムが導く「結論」は、非常に発展性があるものだと考えていた。様々な職種の「市民」が集まり、その数が多くなれば「結論」の精度も上がるのではないか。
私は「幕張市を一般公開する」という「議題」を投げてみた。一般公開にまつわる様々な面倒ごとはすべて私が引き受けるし、運営に関する実費もすべて私が負担する。「幕張市」で儲けようとは思っていないし、負担した実費以上の売り上げが出れば、その使い道をどうするかもすべて「議題」として相談する。そう問いかけてみた。
その「議題」はこれまでにないほどの激しい議論を生んだ。
ほとんどの「市民」が委任をやめて、自分の意見を表明した。最初は否定的な意見が多かった。「幕張市はあくまでも仲間内で使っているから面白いのであって、赤の他人たちが入ってきたらつまらないものになる」という意見や、「荒らされたり、悪用されたりするかもしれない」という意見もあった。「問題が起こったときに、どのように対処すればいいのかわからない」という意見には、私が直接「それも『議題』として決めればいい」と反論した。
最初にプロトタイプを作った学生エンジニアが「公開してもいいんじゃない?」と意見を表明したところから、風向きが変わった。彼は「ダメだったらまた非公開にすればいいわけだし」と言った。
その意見に賛同して、賛成票が一気に増えた。締め切りまで「賛成」と「反対」が拮抗したが、最終的に可決され、「幕張市」は「私たち」だけのものではなくなった。
市民ナンバー1536 画家K.A
《「幕張景色図屏風」。一枚絵で鑑賞する版画の形式を確立し、浮世絵版画の創始者として知られている菱川師宣の作品である。右隻には秋と冬の風景が描かれ、民家で戯れる親子の姿や、近所で集まって話をする住民たちの姿が見える。左隻は春と夏の風景で、夾竹桃の木立に囲まれ、花見をしている人々や、東京湾の浜辺で海水浴をする人々の姿が描かれている。本作は、江戸時代の浮世絵画家、菱川師宣が江戸から房総の生家に帰る途中に立ち寄った、幕張の集落の風景を描いたものであるとされ、地元の商人が譲り受けていたものが近年発見された。江戸時代に幕張の住人がどのように生活していたか、どのように季節を楽しんでいたかがよくわかる作品である。》
以上は「幕張市芸術祭」と題された架空の芸術祭に出展した作品の解説文だ。テーマは「幕張市」で、出展資格は「幕張市民であること」とされていた。
「幕張市」はもともと単なる投票システムだったという。エンジニアたちがそこに集まって、改良しながらシステムを使って様々な決め事をするようになった。その時代は閉鎖的な空間で、市民の紹介がなければ参加することはできなかった。
「幕張市」が門戸を開いたのは最近のことだ。その結果、実に様々な職種の人々が幕張市に集った。「幕張市芸術祭」が企画され、市民投票で承認されたのもこのころだ。幕張市は簡単な手続きで市民になれたし、税金を納める必要もなかったが、望めば独自のシステムで運営される「市政」に参加することもできた。
こういった試みに興味があった私は、すぐに市民登録を済ませた。架空の都市の架空の芸術祭ということで、私は架空の歴史に関する作品を出展することに決めた。こうしてデジタル上の屏風にデジタルで浮世絵を描き、千葉県所縁の画家である菱川師宣にちなんだ架空の解説を書いた。
芸術祭には様々な作品が集まった。存在しない市庁舎の写真もあったし、実際に幕張のビルを利用して光の彫刻をする試みもあった。集団意識が反映され、常に変化する構造を持つ旋律に、市民の日常的な呟きから生成された詩をのせたものに「市歌」という題がつけられ、市民のイメージを同時間的に反映し、永続的に変化を続ける「幕張市全景」というVR空間も作られた。
そこには確かに人々の生活があり、文化があった。市民がいて、日常があり、祝祭があった。幕張市には、幕張市以外のすべてが存在していたのだ。「幕張市」という空洞を想像力の膜が包み、その外側が世界と繋がっていた。
「市」とはなんだろうか。それは行政の単位であり、ある程度人の集まった自治体の肩書きのようなものだ。幕張市には土地はないが、行政もあったし人も集まっていた。市民によって歴史と文化が作られていた。
市民が集まったフォーラムでは「幕張市芸術祭」は概ね好評で、投票で第二回の開催も決定していた。私は次の芸術祭で、何を作るのか決めていた。
幕張市の未来の姿だ。
架空の街が架空の歴史と文化を作り、それが実在を象った結果、どのような帰結になるか。百年後の幕張市が、どのように現実と接続しているか。
そんなものを、キャンバス一杯に描いてみたいと思う。
市民ナンバー35671 作家S.O
職業柄、家から出ることはあまりない。仕事はすべて自宅で完結するし、編集者との打ち合わせもオンラインで済ませていた。原稿はデータで送り、返ってきたデータを直し、また送るだけだ。一度も会ったことのない担当者というのも、かなりの数存在している。欲しいものはネットで購入するし、それで手に入らないものはあまりない。僕にとって、どの街に住むか、つまりどの自治体の「市民」になるか、というのは、宅配便の表に貼られた住所の文字の問題でしかなかった。
長年住んだ街でも、それが「自分の街」と呼べるかといえば、首を傾げてしまう。街に不満があるとか、自治体が気に入ってないとか、そういう話ではない。単に、自分が街の一員だと自覚する機会があまりないのだ。感染症が流行し、ステイホームが推奨されるようになってからは、さらにその傾向が進んだ。それまで街での生活を支えていた駅前の繁華街や、大型スーパー、文化施設、同じ街に住む友人など、「自分」と「街」を接続する物理的、身体的要素は希薄になった。
そんな時代に、僕たちはどのようにして「市民」になるのか。
物理的、身体的繋がりが必要条件でなくなったのならば、「精神」という側面がより重要になってくる。自分の肉体の拠り所となるものが戸籍であるならば、精神の拠り所となる新たな戸籍があってもいいだろう。
僕はこうして幕張市民になった。
「幕張市」は実在しない。行政と呼べるものも存在しなくて、市民たちが自ら、独特のシステムを使って自治している。
実在しないということは、拘束されないということだ。
僕は「幕張市」を自らの精神の写し鏡だと考えている。「幕張市」という空洞に、自分の精神を、自分の想像力を嵌めこめば、それは間違いなく「自分の街」になる。
「幕張市」は心の戸籍だ。税金は市民の想像力によって支払われ、集まった想像力がアイデアとなって再分配される。このやり取りの中から、これまでにない形で、新しい文化が生み出されていくのだ。
——(了)